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河鍋 狂斎

名前 河鍋 狂斎
カナ カワナベ キョウサイ
 

プロフィール

1831(天保2)~1889(明治22)6歳にして浮世絵師・歌川国芳の門に入り、後に狩野派の前村洞和の門に移る。19歳の頃に再び浮世絵師へと転向、25歳のときに戯作者・仮名垣魯文と出会い、魯文の文に絵を添えた摺物(鯰絵)を描く。戯画の狂斎として月岡芳年、二代歌川広重、二代歌川国貞、豊原国周などと並ぶ人気浮世絵師の地位を得る。1870年(明治3)10月、上野不忍池の料亭で筆禍事件を起こし、3か月の入牢の憂き目に会い、狂斎を「暁斎」と改名。1876年(明治9)にフランス人エミール・ギメとフェリックス・レガメーの訪問を受け、ギメの著作『東京・日光散策』(1880)に日本を代表する絵師と紹介されている。またフランシス・ブリンクリーやジョサイア・コンダーのように弟子入りする外国人も現れ、コンダーは暁英の号を受けた。数百点を越す肉筆画を描き、最後の浮世絵師、狩野派の継承者、鏑木清方、水野年方などに影響を与えた近代美人画の創始者として、近世の絵師という枠を超えた芸術家であったといえる。

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著作一覧

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著者:河鍋 狂斎
北村孝一 訳・解説
 
 

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